第30回:川本木材株式会社
2008年(平成20年)夏、大知木材さんから始まったシリーズ「神戸の材木屋さん」は丸9年が経過、今回で第30回目を迎えました。9年で30回、少ないと言えば牧牛の怠慢が原因だと思います。老骨に鞭打って拍車をかけ、出来るだけ多くの組合員企業を訪問取材したいと思います、頑張ります。
9年の間に本シリーズの提案元であった神戸木材業協同組合が神戸木材仲買協同組合と合併して神戸木材仲買協同組合となりました。それと同時に組合員数も倍増しました。月に1社は無理でも最低でも年間6社の訪問取材を目標とします。
さて、今回の訪問先は明石市硯町3丁目9番31号の川本木材さんです。取材日は平成29年6月26日月曜日の午前、インタビューに応じて下さったのは社長の川本雅文さんです。
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川本木材さんは兵庫県の明石市。大阪市内からは車で阪神高速神戸線を進み第2神明の玉津で降りて175号線をしばらく南下、国道2号線と交わる和坂の交差点付近にあります。2号線沿いのメインストリートに面しています。隣には業務用スーパーの大きな看板が見えます。あとで伺ったらこの一角すべてが川本木材さんの所有地、一部を賃貸に回しているとのこと。牧牛にとって明石は全くの異邦人。明石と言えば明石海峡と魚の棚商店街、蛸・鯛・明石焼きのイメージが染みついています。玉津を降りると神戸市西区の標識を発見「明石と神戸市は結構近いのだ」と実感。大阪人にとって明石は遠い所だと錯覚していました。車で1時間少々です。
それでは本題に入ります。まずは川本木材さんのルーツから。
現社長の雅文さんは4代目。初代は曽祖父に当たる川本政吉氏。当時(多分明治末期ごろ)の明石の里山(西神辺り)で地松などを伐採、製材していたそうです。木こりの元締めというか山守的な存在だった。その政吉氏が街(明石)に降りてきて川本製材所を個人で創業した、大正8年のことです。創業の地は明石市王子1丁目、今の本宅の所在地です。2代目は祖父の貢(みつぐ)氏、3代目は父上の恭司(やすし)氏で現在は会長として活躍されています。
昭和16年には戦時体制として明石市木材統制会社に併合され、戦後、昭和23年に川本貢社長時代に法人改組し、川本木材株式会社が誕生しました。本社を創業の地から当地に移転したのは昭和53年のこと。
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川本雅文社長は昭和40年11月、明石市生まれ。県立明石高校から関西大学商学部に進み卒業後すぐに家業に就きました。大学時代は大阪千里山の関西大学まで約2時間かけて通学したそうです。姉妹の真ん中で跡をとるのが宿命のような長男坊。その点については「先代から家業を継ぐときにはよく考えよ!と言われたが先祖からの預かりものだという気持ちが強く、まったくぶれなかった。高校時代から手伝っていたのでスムーズに入れた」と話してくださいました。
川本社長は今の木材業のことを「神戸の大震災から大きく変わった」と話されています。川本木材は大工・工務店さんに木材等を販売している仲買さんです。「材料屋としての存在価値は何か?プレカットをやらないか?とか、施工分野に進出しないかという声もあった。プレカットをやれば得意先の大工さんの仕事を奪うかもしれない、施工すれば同じく大工さんの仕事をとる。材料屋として悩みに悩んだ」。「昔からの大工さんの仕事が切れるわけではない。可愛がって頂いたから今がある。大工・工務店さんと材木屋は車の両輪だ」—悩んだ末に材料屋に徹することを決心されました。
2号線に面した広大な敷地を有する川本木材さん、業務用スーパーの向かいの回転寿司店も川本さんの所有地です。場所も十分あり川本社長の資質を鑑みればプレカット業に進出することも可能だったと推察します。しかし、仲買に徹するのも素晴らしい決断、先のことは誰もわかりません。
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この付近の住宅について伺いました。
7〜8年前から田舎造りの家(入母屋)が皆無になった。これでは大工さんの技術の伝承が出来なくなる。大工の高齢化も問題だ。以前は米が取れるたびに家が建った、それも入母屋の。家族制というか家長が強かったからね。私としては「ハウスメーカーの家ではなくこだわりの家、自分の家を建てて欲しい。素材として本物の木を使ってほしい」。
従業員は11名、パートが4人。結構な人数です。その点については「不動産事業を行っている。隣と向かいの賃貸を筆頭に、銭湯の経営までやっている」と川本社長。銭湯については「スーパー銭湯ではなく昭和の銭湯です。かつては3ヶ所経営していたが今は一か所。震災の時には重宝されました。製材から発生するオガや端材、バンバ類の有効活用がきっかけでした」。牧牛も材木屋さんで銭湯を経営している話はよく耳にしました。一種のバイオマス利用の先駆けですね。
川本社長は兵庫県木材青年クラブの会長を務められ、現在は神戸木材仲買協同組合の理事、明石市木材業組合の代表理事の要職にあります。趣味は「最近あまりやっていないが」と前置きしてゴルフ、仕事が好きであまり休まないそうです。高校生と中学生の娘さんがいらっしゃいます。
お店の前には「端材のボックス」と「善意の箱」が置かれています。端材は無料だが善意で寄付する人も多く、貯まれば神戸新聞に持っていくという。
2階でのインタビューを終えて1階の事務所に降りると川本恭司会長が奥にいらっしゃいました。川本会長は昭和11年8月9日生まれ、元気そのものです。昭和40年代、6年ほど大阪住之江の平林にある関西木材市場の原木市に顔を出していたそうです。ラワンとか米桧などの丸太をセリで落札、仕入れたそうです。牧牛は平林育ち、川本会長から出てくる材木屋の名称、今なお健在な店もあればなくなった店もあります、半世紀も前の話ですからね。懐かしい気分でインタビューを終えました。
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