第13回
林木材株式会社
(神戸市兵庫区湊町2丁目4-1)
◆
◆
こんにちは牧牛(ぼくぎゅう)です。
今回の取材は神戸市兵庫区湊町2-4-1の林木材株式会社さん、
インタビューに応じて下さったのは社長の中村弘之さんです。
◆
◆
訪問したのは盆明け直後の8月19日の昼下がり。
林木材さんは神戸高速鉄道(阪神・阪急・山陽)新開地駅から南へ徒歩で約10分程度、
大きな通りに面しています。
盆明け早々ながら倉庫の前には大型トラックが待機しており、
社員さんらが忙しそうに動き回っていました。
この会社は繁昌している、と直感しました。
◆
歴史が大好きな牧牛の悪い癖かもしれませんが、
とにかくルーツを伺うのが好きです。
特に今回は社名と社長さんのお名前が違っています。
材木屋さんの社名は個人名や屋号あるいは地域・出身地の名称から付けられるのが多く、
例え養子縁組であっても養子さんの旧姓が社名に反映されることはほとんどありません。
中村社長にズバリ聞きました。
◆
戦前、兵庫県宍粟郡(現在は宍粟市)千種町で現社長中村弘之氏の義祖父が製材業を営んでいました。
社名は林製材、もちろん義祖父さんの苗字は林姓です。
そして義父上の林昇氏(次男)が中村さん(母上)と養子縁組をして結婚、
中村昇として林製材所の跡を継いだのです。
そしてお二人から生まれた娘・中村宣子(のりこ)さんと弘之さんが養子縁組して結婚し「中村姓」、
会社名は「林」なんです。
やっとわかりました。
◆
創業は昭和22年、創業地は現在の本社地の近所だそうです。
戦前から宍粟郡で製材業を営んでいたのでその製材品の販売会社的な存在として「林木材」を立ち上げたそうです。
お父上が20代半ばの頃です。
アイテムは宍粟のスギ材が中心。
「親父は若い頃から病弱で、人生の半分は病気がちだった(平成23年6月他界)」
と中村社長は述懐されています。
◆
中村弘之社長は昭和17年生まれ、
東京の明治学院大学を卒業されています。
文化シャッターでサラリーマン生活を4,5年経験され、結婚もされました。
「その頃、林木材は存在していたが親父が病気がちでほとんど休業中だった。
自分の代で店を閉めたらご先祖さんに申し訳が立たない。
とにかくやってみよう!」
と一念発起されました。
「ベニヤのベの字も知らん人間が1年間、
スバルに乗って地図を片手に神戸の材木屋さんを回った。」
宍粟のスギ材ではなかったのですか?
の質問に・・・
「その頃から扱い品目が宍粟材から一般材・新建材に変化していた。
難しい材木と違ってベニヤならなんとかなると思ったから」
と。
◆
◆
「とにかく、顔を覚えてもらいたい、それだけやった。
が、林木材のノレン・知名度が有難かった。」
「神戸に面白い奴がいる」ということでアイカさんや林ベニヤ・佐渡嶋さんらが徐々に応援してくださった。
「特にアイカさんにはお世話になった。歴代の社長を筆頭に本当に感謝しています。」
と中村社長の誠実な人柄がにじみ出た感謝の言葉です。
◆
「好事魔多し」とはまさにこのことです。
伊藤忠等の商社との商いも増え、
従業員も増えて順風満帆だった同社に襲いかかったのが平成7年1月の「阪神大震災」です。
「倉庫もアパートも全部潰れてしまった。
商売を止めようと思った。」
—これは実感だと思います。
止めなかったのは
「従業員もいる。我々も跡を継ぐから。」
というお二人のご子息の言葉に支えられたからだと中村社長。
長男は現在専務の伸弥さん、次男が常務の隆章さんです。
◆
◆
1年後に本社の建て替えが完了しました。
卸売りからスタートして今では木工に建具に店舗等々、何でもやっています。
「木材・建材の流通を通じて社会・業界に奉仕したい。」
と中村社長。
◆
「家内(宣子夫人)と二人でスタートした会社。
家内のほうがベニヤのことを良く知っていた。
ジーパン姿で配達し、可愛そうなぐらい一生懸命働いてくれた。
一番感謝している。」
の言葉を隣の部屋で宣子夫人は照れながら聞かれていました。
◆
「神戸の深江浜に400坪の土地を購入して倉庫を建てている。
長男は1級建築士で図面・工事一式を任せている。
出来上がった倉庫を当社の物流拠点にしたい。
本社と姫路と深江倉庫の三本柱で事業を推進したい。」
と将来構想を交えて話して下さいました。
◆
長時間、ありがとうございました。
深江の倉庫が出来ましたら取材に伺いたいものです。
◆
本来なら「第13回・神戸の木材屋さん」はこれで終了です。
が、
前述の建設中の新倉庫(東神戸支店)が完成し、
開所式の案内を頂きました。
その開所式の模様を第2部としてご報告します。
◆
◆
開所式は10月7日(金)午前11時30分より来賓・得意先ら多数の関係者が出席して盛大に催されました。
住所は神戸市東灘区深江浜町68番地です。
◆
式典の司会はアイカ工業の社員さんです。
冒頭、中村社長は謝意とともに、新倉庫建設に至った経緯を
「神戸の大震災で一時は廃業まで決意したが息子達の後押しで再建へと舵を切り替えて進みだした。
しかし震災以降、本社周辺の環境が一変した。
道路交通法上の問題や騒音・地域の安全性等々の問題解決が急務だと考え、
事業を継続するからには早期の対応が必須だと思って決意しました。」
と報告。
そのあと「よく質問されるのですが…」
と前置きして社名の林木材とご自分の中村姓との違いの理由(第1部で詳述)を説明、
来賓祝辞[アイカ工業・伊藤忠建材]に移った。
◆
◆
続いて、
東神戸支店の設計・施工を担当した中村伸弥専務が
「阪神間のデリバリー機能を効率化して顧客満足度をアップしつつ設計・施工・リフォーム市場への進出の足がかりにしたい。
箱は出来ましたが中味はこれからです。
皆様のご支援ご協力をお願いします。」
と述べて謝辞とし、
鏡開き、乾杯へと移った。
取材日:2011年8月19日
2011年10月7日