神戸の材木屋さん
第17回:宮崎木材株式会社(神戸市長田区腕塚町1丁目3-4)
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こんにちは牧牛です。
神戸木協のホームページ用の「神戸の材木屋さん」がスタートしたのは2008年の夏、第1回目に登場したのが大知木材さんです。足掛け4年になるというのに今回でまだ17社目です。早く50社に達したいと牧牛は願っているのですが、諸般の理由(もちろん原因のほとんどは牧牛にあります)で遅れています。今年の目標は第25回必達、年末まであと8社です。拍車をかけて頑張ります!事務局の皆さんもご協力を!
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インタビュー中、頻繁に電話がかかってきます。お店の忙しさが伝わってきます。「足場板100枚、大至急頼むわー」と宮崎社長の大声が響き渡っています。
開口一番「兵庫倉庫にはLVL50万本在庫がある。アホほどある。毎月コンテナが15本中国から来る。コンテナ1本で約50立米やから毎月、毎月700立米買っている。樹種はポプラや」と、宮崎社長。
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『LVL』という業界用語が出てきましたね。木材業界人ならほとんどの人が知っており「Laminated Veneer Lumber」の頭文字をとって出来た言葉です。日本名は単板積層材。単板(Veneer)をすべて平行にして積層接着した木材加工製品だかつては「平行合板」と呼ばれていました。合板と違って長尺・厚ものが得られます。
例によって牧牛の大好きな、そして一番興味深いお会社のルーツから本来のインタビューをスタートしました。
昭和21年10月、現社長の父上宮崎實氏が長田区久保町(登記は腕塚町)で創業されました。腕塚とは変な地名ですが聞けば「平敦盛の腕」が由来だそうです。父上は兵庫県神崎郡出身。業態は小売業、大工・工務店を得意先とする仲買さんです。
今は卸と小売の垣根がなくなった。当社はマンションの下請け工務店に木材類を販売している。昔みたいに大工さんが刻む時代は終わった。当社の刻み場も倉庫になった。「宮崎木材は地元神戸より、海外の中国や大阪の方が有名や。さしずめライバルは大阪の紀洋木材さんかな」と微笑む。後日、紀洋木材の桑原社長にその話題をしたところ「当社のライバルは宮崎木材さんです」と笑いながら応酬されました。
◆先日、昔勤めていた番頭さん(宮崎社長が小さかった頃)がたまたま来て「私らの頃は社員が60人おった。商売も月に7千万円くらい売ってた」と話していた。当時は住み込みの社員がいて社員寮が2棟あった。「あれから50年か、今はマンションになった。神戸では東の丸正、西の宮崎と言われ、新宅さんと名田の冨士雄さんの4人がリーダー格、元老院みたいやった」。以上、回顧談でした。
宮崎良夫社長は昭和25年10月16日生まれ、牧牛と同い年です。私立の名門六甲中学・六甲高校から県立神戸商科大学に進み、卒業後、家業に就く。六甲中・高時代は伝統的な風呂敷通学だったそうです。
入社当時は毎日、毎日丸太を挽いていた。それも南洋材が中心でラワン・メラピー。南洋材の欠点は虫喰い。ヒラタキクイムシにやられて本当に閉口した。南洋材(広葉樹)扱っている会社は元々日本の雑木類(広葉樹・タモ・ナラ等の北海道材が多い)を扱っていた。構造材(針葉樹、マツ・スギ・ヒノキ等)ではなく家具や建具といった内装・造作材がメインだった。
虫で悩み続け阪神大震災の頃から針葉樹(米栂)に変っていった。「木材は流行、ファッションや。その都度風見鶏にならんと生きていけない。大壁の中の見えない木ばかり扱っている。寂しい限りだが・・・」と宮崎社長。
若い頃から木が大好きだった。特に買うのが大好き。営業マンが来たら何か買う、必ず買う。その後のパイプが太くなるかどうかは営業マン次第やけど。牧牛さん、ホームページ必ず書いといて欲しい「材木と名が付けばなんでも買いますよ!営業マン!ウェルカム!」と。
ユニクロの柳井さんの言葉「売れ残るくらい仕入なさい」に感動した。街の材木屋の在庫量では一番のボリュームだと自負している。「親父が残してくれた会社を次の世代に継承することに今、必死になっている。息子が4年前から親父の会社やりたいって入ってきた」といってご子息の宮崎良君(副社長)を紹介してくださった。
仕入先も売り先も減って欲しくない。ベニヤ1枚でも運ぶ—このスタンスは必要だと思う。性格的に新規開拓が大好きで与信に注意しながら訪問している。決して神戸では競合しないようにしている。取った、取られたが嫌いやから神戸以外、尼崎・西宮・大阪・京都を回っている。とにかく新規、新規や。
趣味はゴルフかな、最近あまりやってないけど。
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宮崎社長、長時間ありがとうございました。牧牛も新聞家業に誇りを持って新規開拓に向かいます。