こんにちは牧牛です。
さて、今回の訪問先は神戸市垂水区塩屋町6丁目8−1の滝乃木材(有)さんです。取材日は平成27年11月9日月曜日の午後、インタビューに応じて下さったのは社長の荒木治男さんです。
大阪市内から阪神電車・山陽電車を乗り継いで「滝の茶屋駅」に向かいました。急行が止まらないのを確認しなかった牧牛は二つ先の垂水駅まで行ってしまい、約束の時間に遅れるドジを踏みました。駅の前は海、後は山、遠く淡路島が浮かんでいます。源氏物語で名高い須磨・舞子・明石・・、風光明媚なところでしょうがあいにく当日は小雨模様でした。
駅から商店街を抜けて目的地に向かったのですが、商店街とは名ばかり、お店も少ないし、あってもシャッターが閉まっています。以前伺った須磨の岡本材木店さんの駅前の衰退ぶりよりひどい状況です。神戸の都心から電車でたった20分の距離です。日本の駅前商店街は一体どうなってしまったのでしょう。
◆
荒木社長にその点について伺いました。滝の茶屋駅前にはかつて2件の映画館とパチンコ屋があり、商店街は賑わっていた。周辺には川崎重工や三菱重工の社員寮があり、小学校も1学年8クラス、大半が川崎重工や三菱重工の社員の子弟でした。時代とともに福利厚生の考え方も変わり、その上自社社員が減って派遣社員が増え、社員寮も取り壊されたのです。その当時は当社もそうした社員寮の増築・改修工事が頻繁にあり木材を納入していました。いまでも当時おつきあいした大手の会社との商売は続いていますが・・・。
◆
滝の茶屋の話が続きます。
「滝の茶屋」は万葉集にもでてきます。ここの台地から水が垂れるのでこの一帯は「垂水(たるみ)」と呼ばれ、道行く人々がその水を求めて一服するところから「滝の茶屋」と呼ばれたそうです。「ラジオで佐川満男さんも話していた」と荒木社長。
前置きが長くなりました。本題に入ります。
滝乃木材さんは昭和37年に当地で創業しました。創業者は現社長のお父上荒木鳩資(あらき・やすすけ)さん。大正12年生まれの鳩資さんは元々銀行員(野村合名会社)、復員したあと尼崎の荒木木材の次女と結婚、木材業に従事しました。その後、銀行員時代から縁のあった垂水の滝の茶屋で開業することになるのです。従って荒木社長は尼崎生まれです。
◆
◆
荒木治男社長は昭和29年生まれ、滝川中学・高校から神戸大学経営学部に進みました。牧牛の4年後輩に当り、神戸大学木材凌霜会には神戸組の松野さん(兵庫県木連会長)・宮内さんと一緒に参加されます。卒業後は三菱グル—プの明和産業に入社、2年間、東京で勤務されました。明和産業では木材部に所属、アメリカのルイジアナパシフィック社とのバーター貿易が主たる業務でした。「のり(接着剤)」とキャンツ(米栂の盤が主)のバーターだったそうです。「転売するだけの楽な商売だった」と荒木社長は笑う。
2年間勤務したあとの5年間が本人の言う「遊民生活」。東京錦糸町の材木屋(村上材木店)に席を置きつつ「ぶらぶらしていた」らしい。「確かそうやったなあ?」と側にいる律子夫人に確認。荒木社長は牧牛の質問に際してはいつも奥さんの追認を受け、何でも相談しています。結婚は神戸に戻ってきてから、30歳の時です。
突然、お年寄りが入ってきました。聞けば88歳の大工さん。リフォームの件の相談でした。「大工さんも高齢化しているが解ったでしょう」と荒木社長。
荒木社長の代になってからはリフォーム・新築工事までなんでもこなしています。建築業許可も取得されています。
「二人の愛娘も幸い独立し、私たちも食うに困らんと思う。我が家は犬で繋がっています」とご夫婦は微笑む。
荒木社長は神戸木協の理事職を務め、趣味は政治だと言う。「議員さんをボロクソに言うのがけっこう面白い」と冗談とも本気ともとれる発言。政治好きの牧牛もなんとなく納得した次第。
長時間、ありがとうございました。愛犬醍ちゃんと仲良く暮らしてください。
◆