神戸の材木屋さん
第20回:合資会社ミツワ材木店(神戸市長田区二番町)
こんにちは牧牛です。
さて、今回の訪問先は神戸市長田区2番町4丁目10の(資)ミツワ材木店さんです。お店は高速長田駅から少し東に戻った大開通り沿いにあります。取材日はゴールデンウィークの狭間、平成25年5月2日の午後2時から。インタビューに応じて下さったのは代表社員の田中成和(たなか・しげかず)さんです。
神戸木材業協同組合の組合員数は現在70名程度ですが、その中に田中姓が4名存在します。前回(第19回)取材した㈱兼久の社長さんも田中姓です。余談ですが、㈱兼久の創業者(現会長)である田中久嗣さんはミツワ材木店の番頭さんだったそうです。最近では珍しい「合資会社」も4社あり、前々回(第18回)の稲見材木店さんと同じです。牧牛の予感ですが、次の取材先は「合資会社」の冠を持つ岸野木材さんか戸田材木店さんか田中姓の会社に決まるような気がします。
例によって牧牛の大好きな、そして一番興味のある会社のルーツからインタビューをスタートしました。
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創業者は現社長のお父上田中増太郎さんです。1902年の寅年生まれ、90歳まで長生きをされました。田中増太郎さんは兵庫県宍粟郡の出身。「宍粟森林王国」を言われるほど森林資源の豊富なところで、宍粟郡山崎周辺出身の材木屋さんは大阪にも大勢いらっしゃいます。田中増太郎さんは大阪で修業して昭和22年神戸長田で「ミツワ材木店」を創業されました。
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商売の形態は昔も今も小売、たまには卸もやった、と田中社長。つまり、大工・工務店さん向けに一般建築材を販売しているのです。商圏は三木・加古川・明石、東は灘・住吉方面が中心。「信用力は先代からの財産、真面目に仕事をしています」と田中社長。木材と建材・住宅設備機器類の売上比率は半々だそうです。長田区のカルモ島にある「神戸マリーナ」にも出資をされています。
昭和15年生まれの田中成和社長は大阪港区の市岡生まれです。戦争中は宍粟郡の故郷に疎開し、小学校の時に神戸の板宿に戻りました。これも余談ですが、ミツワ材木店は宍粟出身者を社員として数多く受け入れてきたそうです。そして、ミツワ材木店さんで修業して独立された方もたくさんいらっしゃいます。かつての大阪船場の商家では「ノレン分け」といって日常茶飯でした。その辺の事情を田中社長に伺いました。「独立されるのは喜ばしいことですが、商圏を譲るのとほとんど同意語です。本家の商売が人ともに一部移るのですから独立されるたびにそれぞれの葛藤はありました。」と本音で語って下さいました。
田中成和社長は滝川高校から関西大学商学部に進み、卒業後、学生時代から手伝っていた家業のミツワ材木店に就きました。牧牛は田中社長を以前から存じ上げていたのですが、ルックスから牧牛と同じ団塊世代(昭和22年〜24年)だと思っていました。実年齢が牧牛より10年先輩の72歳だと伺って驚きました。ほんとうに若々しく見えます。趣味は、ゴルフ、読書、麻雀、映画、等々と多彩。
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昭和42年に結婚され(奥様のお名前はかほるさん)、職場もご一緒、夫唱婦随のおしどり夫婦とお見受けしました。後継者には次男の宏道さん(昭和45年生まれ)が入社、ミツワさんの将来は安泰です。
平成7年の阪神大震災で社屋は全部潰れました。その年の秋に建て替えを挙行、工務店と一緒に社員全員で棟上まで行かれたそうです【写真】。牧牛が事務所に入った瞬間「この事務所は昔ながらの材木屋さんの香りがする」と感じたのですが、平成7年竣工ですからそんなに古い建物ではありません。「ログハウス風をイメージして建てた。」と伺い、納得しました。
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「公共建築物等の木造・木質化が法律で決まり、各方面でその動きが活発化している。大きな公共施設にも普通の材木屋が納品出来るようにならんとあかん。特殊な材木屋やゼネコンだけが潤っているようでは情けない。」と田中社長。同社は先般、三木市吉川町の里脇ぶどう園に完成した滞在型市民農園「クラインガルデン里脇コテージ(5棟、1棟=10坪)」に木材を納材しました。こうした木造施設が各地で激増しています。木材業界には追い風が吹いているのです。
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最後に愛犬「ビッキー」の物語を伺いました。ゴールデンレトリバーの「ビッキー」は生後数ヶ月で足が立たなくなる奇病を発症しました。医者に見離され安楽死を助言されたそうです。しかし、田中夫妻はその選択肢をとらず、ありとあらゆる看病をされました。堺東の専門医にまで足を伸ばしてMRIを撮り、リハビリの一環として海で泳がしたりもしました。お二人の愛情が通じたのでしょうね、完治はしなかったものの、普通の生活が出来るまでビッキーは回復しました。そのビッキーも去年の5月に13歳で亡くなりました。今も尚、ご夫婦は肩を落とされています。