神戸の材木屋さん
第18回:合資会社稲見材木店(神戸市兵庫区下沢通)
こんにちは牧牛です。
「神戸の材木屋さん」は諸般の事情により前回の第17回目(宮崎木材)から約10ヶ月のブランクとなりました。2008年の夏からスタートして4年半、早く50社に達したいという牧牛の願いは中々達成できません。今年は目標を定めず組合員のお会社を一社一社地道に巡りたいと思います。取材先の組合員の皆さん並びに事務局のご協力、切にお願いします。
さて、今回の訪問先は神戸市兵庫区下沢通2丁目2番14号の(資)稲見材木店さんです。大開通に面する神戸木材会館から山手方面に300メーターほど上ったところにお店はあります。斜め向いには兵庫警察署のあるビジネス街です。取材日は平成24年12月26日の午前、インタビューに応じて下さったのは代表社員の稲見精一さんとお父上の透さんです。
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最近では珍しい「合資会社」の社長は「代表社員」と称するそうです。法人では「株式会社」が主流となった昨今、神戸木材業協同組合の組合員で「合資会社」を名乗るのは稲見材木店の他にミツワ材木店・岸野木材・戸田材木店があります。歴史のある会社ばかりなのでしょうね。
例によって牧牛の大好きな、そして一番興味深い会社のルーツからインタビューをスタートしました。
昭和21年12月、現社長の祖父稲見鑑次氏が当地で創業されました。戦前、鑑次氏は兵庫県三木市(グリーンピア三木の近所)で稲見製材所(現在も営業中)を兄上と一緒に経営されており、焼け野原でなにもなかった湊川駅に近い当地で独立開業されたそうです。会社の歴史としては、明治期に創業した稲見製材所から数えると100年は楽に超えていることになります。
商売の形態は昔も今も仲買業。大工・工務店さんに一般建築材を販売しています。
お父上の稲見透さんは昭和19年三木市生まれ。平成6年の父鑑次さん死去に伴い社長に就任、平成18年、62歳の若さでご子息の精一さんにバトンを譲りました。まだ60代、元気溌剌です。
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稲見精一社長は昭和50年生まれ。前述のとおり31歳で社長に就きました。神戸弘陵学園高校から東亜大学(山口県下関市)経営学部に進み、卒業後即家業に入りました。「中学を卒業した春休み、病み上がりの父を助けるため母親に手伝うように言われたのがきっかけです」と話す精一社長は「その時のバイト代は一生忘れない。配達に木材の積み降ろし、結構きつかった。それで日給3千円。後で考えたら時給375円や。アルバイト雑誌をみてもえらい安い、この数字一生忘れへん」と笑う。そこで透氏が登場「体力あった。割とよく働くな—と思った」。精一氏のアルバイト先は常に家業だったそうです。
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親元を離れたくて下関の大学を選んだ精一さんですが、大学1年の冬(平成7年1月)に「阪神淡路大震災」が神戸一帯を襲いました。「テレビのニュースで向かいの兵庫警察署がペシャンコになっているのを見た。うちの会社は界隈では一番古い建物や、絶対潰れたと思った。大学、やめないとアカン」。その夕刻には家族の安否も建物の無事も確認できたそうです。良かったですね。
昔からのお客さんが多い。今時の大工さんは急ぎの仕事が多く、即対応が求められる。「うちは帯鋸やプレーナーも設置しており超仕上げも可能、簡単な加工もOK、対応は早いですよ」と稲見親子。
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独身、花嫁募集中だとか。
稲見精一社長は現在、兵庫県木材青年クラブの総務委員長。平成26年度の会長予定者でもあります。一般ユーザーに対して「木をもっと使って欲しいが高いと錯覚されている。青年クラブで木育活動を行っているがこれも時間がかかる。やはり材木屋の認知度アップが一番大切だと思う」。将来展望は?の質問には「木材業はなくなる業種ではない。木造を建てる人がいる限り商売は続けます」と答えてくださいました。
自称、出不精な「アウトドア派」。ブラックバス釣りが趣味。三木市周辺の池にはブラックバスが必ずいる。遠出の必要もない。ミミズとかの餌を触るのが嫌いやからルアー専門だとか。一風変わった釣りキチですね。
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稲見社長、お父上の透さん、長時間ありがとうございました。