第8回
清水木材株式会社
(神戸市兵庫区今出在家町3丁目)
(香川県丸亀市蓬莱町3番4号)
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こんにちは牧牛(ぼくぎゅう)です。
今年初めての「神戸の材木屋さん」です。
今回の訪問先は神戸市兵庫区今出在家町3丁目2番34号の清水木材株式会社さん。
応対して下さったのは社長の清水格(しみず・いたる)さんです。
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神戸木協事務局の村田さんから
「昨年(平成21年)の12月まで神戸木材会館のテナントさんだったのですが、
この度、震災後放置していた前の土地に新しく事務所を設けられました。
本社は神戸ですが工場は香川県の丸亀です。」
との連絡を受け、早速、牧牛は取材に動きました。
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兵庫運河(新川運河)沿いに新しい社屋がありました。
材木屋さんの事務所というより新築住宅(その理由はのちほど)と言った方がよいでしょう。
清水社長と海老名常務、
それと若い清水与代(しみず・ともよ)さん
祖父と同じ名前の清水末吉(しみず・すえきち)さん(お孫さんです)がいらっしゃいました。
清水社長とは牧牛が材木屋を営んでいた頃からの知り合いで、
カナダのバンクーバーやアメリカのシアトルでお会いしたことがあります。
米材原木華やかかりし頃のことです。
昔話に花が咲き、本題のインタビューに入るには時間がかかってしまいました。
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清水木材さんの創業者は現社長の父上に当たる清水末吉さんです。
末吉さんの出身は淡路島の津名郡釜口村、
サンヨー電機の創始者井植さんと在所が一緒だそうです。
15歳の頃、大阪住吉の釜口で新田開発に従事しその後神戸の地で沿岸荷役を行なっていた姉上の跡を継いで海運業に就いたそうです。
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余談ですが、大阪住吉の釜口町というのは現在の大阪市住之江区平林のことです。
この一帯は、釜口さん(現在も大地主です)らが新田開発したため釜口町と名付けられたと牧牛は聞いていました。
昭和20年代の後半から、
大正区小林町から材木屋さんが大挙して移転した大阪市の土地区画整理事業が完結したのが平成6年。
その時、正式に旧地名の釜口町から平林に町名が変更されました。
牧牛が今でも懇意にしている住之江の釜口さんのご先祖と清水さんの先祖はその昔はご近所だったのでしょうね。
世の中はやはり狭いものです。
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兵庫運河を利用した木材の海運業に従事した末吉さんは川崎重工(川重)の木材関係を一手に引き受け、
戦争中は軍関係の物資の海運で財を成したそうです。
戦争中の統制経済のもと、
木材や軍需物資の運送は多忙を極め、
常時筏師が200〜300人ほどいたそうです。
「大阪の筏師が修業に来たよ。今でも覚えています」
と清水社長。
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「戦後も引き続いて川重の仕事をやった。得意先はほとんど川重だけやった。」
清水木材さんばかりか、
木材を運ぶ仕事から材木屋さんに転進した例は陸運でも海運でも同じ、
大勢いらっしゃいます。
昭和25年、清水木材株式会社を設立し初代社長に清水末吉さんが就任しました。
船舶専用の木材を中心に災害復興用材、朝鮮動乱時の特需資材等を供給、
同32年には川重の協力工場の指定を受け同社への木材供給を一手に引き受けたのです。
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清水格さんは8人兄弟の5男。
長男が諭(さとる)さん、
次男が正(ただし)さん、
三男が良(たくみ)さんで2代目社長、
四男が宏(ひろし)さん、
五男の格さんが3代目社長、
そして、下3人は女性です。
男の名前は全部一文字です。
一貫していますね。
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清水格さんは昭和6年5月26日生まれ。
工業高校を卒業されていますが
「仕事は親について7歳からやっている」
と。
清水社長は木材の事業拡大のため木材輸入に取り組み、
昭和29年から41年まで13年間、東南アジアを行き来されました。
話の途中で幾度となく父上の話題が出てきます。
「先代は小学校3年生までの教育しか受けていなかったが開拓心が旺盛やった。
裸になって仕事をしていた。
人の面倒を良くみた。
昔の侠客肌やった。」
の思い出話にはじまり
「得意先に足を向けたらあかん。
日本国民であるかぎり税金だけは毎年納める人になれ。
天皇陛下に足を向けたらあかん」
等の薫陶話などなど。
その末吉さんは60歳まで第一線で仕事をされ昭和48年に勲六等瑞宝章を受章されています。
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清水社長がフィリピンに駐在していた昭和41年のことです。
「川重が香川の坂出に進出するから一緒に行って工場建てろ!早く戻って来い」
と呼び戻されたのです。
坂出では造船用の木材の仕事を中心に南洋材、米材の輸入に勤しみ最高77億円の売上を記録したこともあるそうです。
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昭和57年には船舶・造船・土木専門供給から住宅用建築資材分野に参入。
流通拠点の合理化を図るため香川県坂出市から同県丸亀市に拠点を移し、
丸亀工場を新設しました。
そして、大和ハウス工業四国工場への木材供給体制を整え、
協力工場としての地位を確保し現在に至っています。
だから神戸の事務所は大和ハウスの新築住宅だったのです。
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「神戸に取材に来ても面白くないよ。
工場のある丸亀に是非来て欲しい。」
と言われ、
木協の村田さんの同意を得て、
3月9日、香川県丸亀市を訪れました。
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その日は春の大雪に見舞われました。
明石海峡を経由して淡路島から鳴門に渡り、
高松道に入った途端大雪です。
安全運転に努めて丸亀にやっとたどり着き、
清水木材を探しました。
工場の住所は丸亀市蓬莱町ですが、
清水木材の看板はすぐに目に付きました。
しかし、最初に行ったのが第3工場、次は第2工場、
社員さんに伺ってやっと清水社長がいらっしゃる第1工場に到着しました。
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いくら地価が安いと言っても、とにかく桁違いに大きな工場ばかりです。
工場見学は清水康介取締役生産本部長が案内して下さいました。
第1工場は大和ハウスの仕事が中心。
大和ハウス向けの部材(米材、南洋材、北洋材等)を製材しており、邸別に管理されています。
「材木屋への販売はほとんどない」と清水社長がおっしゃったように、
得意先は大和ハウス、川重、石川島播磨重工、今治造船、長谷工のほぼ5社に集約されるそうです。
第2工場は第1工場で挽いた製材品の加工と集成材の再割加工、
つまり木工工場です。
そして第3工場は大和ハウス用の仮設住宅(現場事務所向け)のパネリング工場と倉庫機能を有しています。
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見学したときアピトンの350角の盤が並んでいるのを発見しました。
清水本部長に
「何に使うのですか?」
と質問しましたら
「造船用の枕木ですよ」
との答えて下さいました。
船を造る時の土台には固い木が最適だそうです。
従業員は約100人。
営業マン(社長のトップ営業のみ)はゼロです。
「アメリカ式で事務所は女性ばかり。男は現場で働け!」
だそうです。
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清水社長、清水部長、みなさんありがとうございました。
神戸と丸亀、讃岐うどんをご馳走になった牧牛も取材を楽しみました。
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※帰りは高松道が通行止め。
坂出から瀬戸大橋を利用して本土に入るも児島から早島まで通行止め。
帰阪したのが夜の7時半ごろ。
記憶に残る取材でした。
取材日
神戸:平成22年2月25日
丸亀:平成22年3月18日