第16回 株式会社柳原木材
第16回
株式会社柳原木材
(神戸市兵庫区西柳原町4番4号)
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こんにちは牧牛(ぼくぎゅう)です。
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今回の訪問先は神戸市兵庫区西柳原町4番4号の株式会社柳原木材さんです。
取材日は平成24年2月23日の昼下がり、
インタビューに応じて下さったのは社長の熊田久義さんです。
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株式会社柳原木材さんのお店はJR兵庫駅から徒歩5分、
国道2号線に面しています。
阪神高速神戸線の柳原ランプが近く、
まことにアクセスに恵まれた立地です。
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例によって牧牛の大好きな、
そして一番興味深いお会社のルーツからインタビューをスタートしました。
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創業は昭和24年4月、
現社長のお父上熊田義信氏が当地にて熊田材木店を立ち上げ、
その後昭和33年7月に法人改組し株式会社柳原木材と改称されました。
お父上は姫路出身、戦時中の統制会社を経て戦後、独立開業に至りました。
創業当初から仲買(小売)一筋、
今もなお大工・工務店さんに木材(今は建材も含む)を販売されています。
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熊田久義社長は昭和16年生まれ。
神戸市立神港商業高校(現市立神港高校)を卒業され、
昭和35年に家業に就かれました。
市立神港高校は商業に強く
「木材業界ばかりか神戸の財界で活躍された方も多い」
と熊田社長。
大阪人の牧牛にとっての「市立神港高校」のイメージは甲子園で活躍した学校です。
関西大学から阪急ブレーブスに入り大活躍した山口高志投手の記憶が鮮明です。
牧牛も大学時代は野球部に所属しており山口投手とは同世代、
バックネット裏(マネージャーだったので)から見た彼の剛速球は
優に150キロを超えていたと思います。
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余談が長くなりました。
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「私のようにこの業界に50年以上おる人間は少なくなった。
それに、純然たる木材の商売だけで飯を食っている店は
神戸近辺では5軒ほどしかないと思う。
ほかの店は貸しビルとか駐車場経営とかの副収入がある。」
と話す熊田社長の携帯電話は鳴りっぱなし。
とにかくよく電話がかかってきます。
忙しいのです。
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ご子息の貴之さん(39歳)が大学を卒業してから家業に就かれており、
昭和25年生まれの熊田社長の弟さんが当社の専務として活躍されています。
立派な後継者がいるのです。
牧牛も銀行と同じ目線でお店を見る傾向があります。
つまり「後継者がいるか、いないか」という視点です。
業界新聞を経営する牧牛にとってお店が継続せずに読者が減ることが一番辛いのです。
「このお店には後継者がいて事業が継続する」
と思うと嬉しくなってしまいます。
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柳原木材さんが他店とは違う特色、特長を伺いました。
答えは
「そんなもんない、普通や。」
と。
「普通だったら木材だけでは飯は食えんでしょう。」
と牧牛。
「よそは普通にやってないんと違うか?飯食えるような商売をしていないのでは…」
と熊田社長。
「家賃収入とか他の副収入があれば四苦八苦せんでもええ分、
本業が疎かになる。
不労所得はいずれダメになる。
自分で働かないとアカン、これが普通や。」
と含蓄のある言葉を頂きました。
なるほど普通の考えですね。
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人生哲学、商売の信条を伺いました。
「誇り、プライドや」
と即答されました。
「タクシーの運転手はタクシーの運転手としての誇り、
大工は大工の誇り、
材木屋は材木屋の誇り、
職業に誇りを持つこと。
その誇りに恥じないような商売をやる。
値段だけではダメ。
銀行も誇りを持って本業に回帰せよ!」
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熊田社長は神戸木材業協同組合や神戸木材仲買協同組合等の
業界団体の要職を歴任されました。
「75歳以上の材木屋は良い思いを経験したが僕らの世代は中途半端、
下り坂の時代だった。
今の若い人は良い時代を知らないから却って幸せかな。」
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「一般の人、大歓迎ですよ。
住宅・木材・リフォーム等々の相談OKですよ。
いつでもお立ち寄りください。」
「木材は地球が存在する限りなくならない資源や。
永久になくならない商品を扱っている有難い商売だと思っている。」
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趣味は囲碁。
キャリア50年でアマ5段。
「名田の大将とはよく打ったものです。」
と目を細めて話してくださいました。
好きな棋士は木谷門下の小林光一9段だとか。
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熊田社長、長時間ありがとうございました。
牧牛も新聞家業に誇りを持って精進します。
取材日:2012年2月23日