トップ > interview第29回 中原材木店

第1回 大知木材株式会社

第2回 株式会社有馬商店

第3回 西田木材

第4回 株式会社大垣

第5回 株式会社灘銘木店

第6回 株式会社毛利商会

第7回 カルモ木材株式会社

第8回 清水木材株式会社

第9回 株式会社三栄

第10回 株式会社山本商店

第11回 三祐木材株式会社

第12回 有限会社山神材木店

第13回 林木材株式会社

第14回 株式会社名田商店

第15回 名村木材株式会社

第16回 株式会社柳原木材

第17回 宮崎木材株式会社

第18回 合資会社稲見材木店

第19回 株式会社兼久

第20回 合資会社ミツワ材木店

第21回 株式会社田中商店

第22回 株式会社岡本材木店

第23回 神戸建材株式会社

第24回 有限会社伊藤材木店

第25回 岸野木材合資会社

第26回 株式会社真田商店

第27回 滝乃木材有限会社

第28回 株式会社福島材木店

第29回 中原材木店

神戸の材木屋さん

 

29回:中原材木店

 

こんにちは牧牛です。

 

さて、今回の訪問先は兵庫県川西市矢問2丁目17番43号の中原材木店さんです。取材日は平成29年2月6日月曜日の午後、インタビューに応じて下さったのは社長の中原保行さんです。

 

前回の福島材木店さんから半年のブランクになってしまいました。昨春、旧神戸木材協同組合は合併して神戸木材仲買協同組合に名称を変え、組合員数も増えました。ホームページ作成のキャラバン、もっともっと頑張らないと・・・。

今回の中原材木店さんも元々旧神戸木協の組合員ではなく神戸木材仲買協同組合のメンバーです。

 

中原材木店さんは兵庫県といっても川西市、大阪のベッドタウンです。阪急電車で梅田から急行に乗り、川西能勢口駅で能勢電鉄に乗り換え、多田駅で下車しました。1時間もかかりませんから神戸というよりやはり大阪の気分です。駅からはバスを利用するつもりでしたが1時間に一本、結局、徒歩で中原材木店さんに向かいました。多田と言う土地柄は多田神社、多田源氏で有名です。取材後、中原社長に多田神社を案内していただきました。中原材木店さんの住所は川西市矢問(やとう)と言います。この矢問も多田源氏に関係する言葉だそうです。

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社屋

 

本題に入ります。まずは中原材木店さんのルーツから。

 

中原保行社長の父上の利治さん(大正8年生まれ)はもともと大工さん、祖父も大工さんだったそうです。今でも大工道具一式が遺っているそうです。中原家の本家は宝塚の売布神社の南にある米谷が本貫、中原保行さんのご先祖さんは今の西多田村に移り定着したそうです。戦時中は大工として軍の兵舎などを建てていました。付近には田んぼもたくさんあり百姓も兼ねていました。今でも自分たちが食べるお米は自給自足されているそうです。

 

戦後の復興期、大工さんから製材所になり、丸太を切り出して製材をされていました。当時は木であれば何でも売れる時代でした。その上、四方は山ばかりで木はふんだんにありました。中原材木店さんの原点は製材所だったのです。創業は昭和21年頃だそうです。

 

時代とともに商売は丸太から製材品に移行しました。仕入れについて伺いましたら「神戸の市場で仕入れた」とのこと。多田からだったら神戸より大阪の市場の方が近い筈です。「理由は定かではないが親父は神戸の市場に行って買っていた。近所の材木屋仲間もみんな神戸だったよ」と中原社長。

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作業場

 

中原保行社長は昭和24年10月生まれ、牧牛と同学年です。神戸の材木屋さんには団塊世代の経営者が多いのが特徴です。一番人数が多かった学年が昭和22年4月〜23年3月、次が23年4月〜24年3月、三番目が24年4月〜25年3月です。それ以降の学年の人数はガクッと落ちます。中原社長と同学年の神戸の材木屋の著名人は松野正和氏(県木連会長・仲買組合理事長)を筆頭に岸野修平氏・服部鋭治氏・岡本良文氏・久保修三氏・伊藤成幸氏・田邊佐太郎氏‥など枚挙に暇がありません。

 

その中原社長は県立伊丹高校を卒業後稼業に就きました。「元々、学校の先生になりたかったのですが・・・」と半世紀前のことを懐かしそうな顔で話してくださいました。今の商売は流通業に特化、大工・工務店さんに一般建築材や各種新建材・住宅設備機器などを販売しています。商圏は多田周辺、猪名川町、川西市方面です。同業者も市内には十数件あったそうですが今では数件に減りました。

 

一人息子の中原慎太郎さん(二級建築士)も21歳の時から家業に就かれ、奥さまの晃代さんもご一緒に仕事をされています。アットホームなお店です。

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中原ご夫婦

 

趣味を伺いました。「若い頃はフォークギターをやっていた(牧牛の世代、かなりの人はギターが弾けました)がやはり野球です」と中原社長。「最近では60歳以上の還暦野球チームに所属、年20〜30試合をやっていた。守備はショートストップだったが歳を考えずに無理に投げたので腱を痛めて今はやめている。野球は多田中学時代から、川西の野球連盟に入って45歳まで大会に出ていた」と中原社長。見るからに体格がよく、スポーツマンの体型です。

 

「自分のできる範囲で無理をせずにマイペースを守る。商売は徐々に息子に譲っていきたい」と話す中原社長は12年以上も保護司の大役を果たされています。保護司は大変な任務だと牧牛は常に思っています。

 

取材の帰り道、無理を言って多田神社に車で案内していただきました。多田神社の宮司さんも友人だそうです。

多田源氏には諸説ありますが「清和源氏、源満仲(多田満仲)に始まる摂津の国の多田を本拠とした系統」が有力です。その源満仲をお祀りしているのが多田神社です。境内には厳かな雰囲気が漂っていました。

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多田神社

 

中原社長 長時間ありがとうございました。