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第25回 岸野木材合資会社

第25回 岸野木材合資会社

神戸の材木屋さん

 

25回:岸野木材合資会社

 

こんにちは牧牛です。

 

さて、今回の訪問先は神戸市長田区浜添通3丁目の岸野木材(資)さんです。阪神高速道路3号神戸線柳原出口から西に進み東尻池を少し越えて左折した住宅街にあります。近所には有名な三ツ星ベルトがあります。取材日は平成27123日金曜日の午後、インタビューに応じて下さったのは社長の岸野修平さんです。

 

最近では珍しい「合資会社」ですが神戸木協には4社存在し、いままで稲見材木店さん、ミツワ材木店さんを取材、このコーナーに掲載しています。今回が3社目です。いずれも歴史のある会社ばかりです。

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社屋

 

岸野社長と牧牛は旧知の間柄、同学年です。先日の117日で阪神大震災発生から20年が経ちました。早いものですね。長田区周辺の被害は新聞・メディア等でも報道されたように大変なものでした。まず、阪神大震災に絡む街づくりの話からスタートしました。

元々長田区一帯は準工業地域、ゴム・ケミカル・鉄工所など多種多様な中小企業が密集した全国一の町工場の街で住まいは長屋が多数占める下町です。MCC、植垣米菓・三ツ星ベルト・吉田ピーナッツ・・・、長田区発祥の有名な企業だそうです。「子供のころから火事ばかりだった。その時には三ツ星ベルトさんが助けてくれた」と岸野さん。加えて、住民は長い間喘息で苦しんでいました。所謂、公害の街でもあったのです。そうした現状をなんとかしようと、住民たちは震災前から積極的に街づくりに取り組んでいました、それも民間主導で。岸野社長の父上(岸野賢治氏)はそうした街づくりのリーダ-の一人です。岸野木材のある地域は「真野地区」と呼ばれ、民主導で街づくりを成功させた数少ない地区として脚光を浴び、世界的にも有名になりました。父上は全国各地で講演を行ったそうです。※「真野地区」の街づくりに関してはHPでご確認ください。

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倉庫内

 

「下町だから住んでいる人も多かった。町工場で働く従業員もたくさん住んでいた。物価も安く家賃も安かった。しかし、震災ですっかり変わってしまった。震災から20年経って人口は戻ったと言うけれど、以前から住んでいた人は半分もいない。他人さんばっかりになった。形だけは戻り行政は喜んでいるが住民はそうではない、温度差がある。自分とこも家は半壊、会社は全壊した。神戸全体で考えるととんでもないことになっている。同業者だけでも自殺者が3人も出ている。神戸の復興は行政指導で早くやりすぎたのが失敗だった。東北のように地元の工務店がやる方が良い。神戸は地元の工務店が立ち直る前によそから来た工務店が復旧・復興を担った。要は急ぎ過ぎたのだ。早く復旧したとしても自慢するのは首長だけ、地元は喜んでいない」。岸野社長の言葉には重みがあります。

 

前置きが長くなりました。岸野木材本体の話に入ります。

 

昭和21年、父上の岸野賢治氏(明治43年生まれ)が創業、昭和26年に法人化しました。出身は兵庫県揖保郡揖保川町、農家の次男坊で口減らし(昔はそう言ったのです)で奉公にあがった。その奉公先がマッチ工場だったのです。マッチの軸は木材です。父上はマッチの軸材(ロシア材)の調達担当として北海道に勤務されました。現社長の修平氏は6人姉弟、上に5人のお姉さんがいる末っ子の長男です。もちろん甘やかされて育ちました。父上は子沢山だったので「サラリーマンでは食えない」と一念発起、独立したのです。木のことしか知らなかったので材木屋になったそうです。

 

当初は、原木丸太中心に家具屋・建具屋・桶屋相手の商売だったそうです。川崎重工や三菱重工に木型材も納材していました。木型材は紅松が中心、ロシア材です。修平氏が小学生のころから徐々に一般建築材にシフトし、大工・工務店さんに木材を販売するようになりました。

 

岸野修平社長は昭和24年生まれ、65歳。神戸市立板宿小学校では神戸木材協同組合事務長田邊佐太郎氏、神戸市立高取台中学では兵庫県木連会長の松野正和氏(第7回目の神戸の材木屋さんに登場)と同級生、神戸市立須磨高校では㈱三栄社長の服部鋭治社長(第9回目に登場)と同じクラスだったそうです。大学は甲南大学経営学部。今では想像もつかない事ですが、若い頃は非力で体重は40㌔台、虚弱体質だったそうです。

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岸野修平社長

卒業後は大阪平林の㈱関西木材市場前社長長沼文雄さんの紹介で大阪では老舗だった浪速区幸町の橋本愛蔵商店に丁稚奉公に入りました。「近鉄瓢箪山の寮から通った1年半、大阪ミナミで先輩や仲間と楽しく遊びました。ファミリー的な良い会社だった。あとで思い返すと商売を含めいろんなことを教わりました」と岸野社長は述懐。そのあと家業に戻り、今では神戸木材界の論客の一人として大活躍されています。

 

趣味を伺いました。

「中学・高校はブラスバンド部でトランペットを吹いていた。甲南大学ではテニス同好会に所属したがスポーツはアカンと実感した。詩吟も三日坊主だった。いまでも続いているのは社交ダンス。家内が学生時代からやっていたしダンスの縁で結婚したようなものです。当時、映画の『Shall We Dance』が流行っていました。ダンスは健康にも良い。それに異性と触れあう絶好のチャンスだからね」と本音で語ってくださいました。

 

岸野さんは木材の端材を利用してペン立てやコップ置きなどいろんな小物類を作っては一般の人にプレゼントされています。「木材に触れることがいかに心地よいかを知ってほしい。みんな大変喜んでいます」。

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コップ置き

 

長時間、ありがとうございました。残念ながら牧牛のダンスはたった3年で終わり、モノになりませんでした。