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第5回

株式会社灘銘木店
(三木市別所町西這田)

 

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こんにちは牧牛(ぼくぎゅう)です。

 

今回の訪問先は三木市別所町這田573-62の

株式会社灘銘木店さんです。
応対して下さったのは社長の吉本誠司さんです。

 

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 吉本誠司社長

 

 

ゴルフ好きだった牧牛にとっての兵庫県三木市とは、
ゴルフ場がたくさんある地域だという印象が強いのですが、
昔から金物の町、酒米・山田錦で有名な町です。
大阪市内から阪神高速空港線を経由して中国池田から中国道に乗り、
神戸ジャンクションを経て山陽道の三木・小野インターチェンジで下車、
道175号線を明石方面に南下して約20分で目的地の灘銘木店さんに到着しました。
大阪の中心部から約1時間半の行程です。
灘銘木店さんは新しい工場が立ち並ぶ広大な三木工場公園に隣接しています。

 

早速社長の吉本誠司さんにインタビューを始めました。
神戸の材木屋さんが兵庫県三木市で商売されている、
少し違和感を覚えました。
その点からスタートです。

 

同社は昭和40年2月10日に神戸市灘区徳井町で創業され、
平成20年末に灘区の本社を閉め、当地に移転したというのです。
現在の本社地である三木の地は
平成6年に三木営業所として開設されていました。
そのあたりの事情を伺いました。

 

「開業当時、神戸市灘区周辺には材木屋だけで30数軒あった。
平成6年で15軒に減り昨年は10軒になってしまった。
得意先の高齢化もあり、地域的にみて限界を感じたのですよ。
移転先については、西脇方面まで足を伸ばして市場調査を行ったが、
縁あってここ三木市で倉庫付の土地の話をいただき、
思い切って決断しました。
場所が広くなり積層のフリー盤が扱えるようになった。
神戸の灘区では出来なかった商売が可能になった。」

 

現在の社名「灘銘木店」はやはり神戸市灘区に由来しているのです。

 

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倉庫内

 

 

吉本誠司社長は昭和14年大阪西区の阿波堀生まれ。
戦時中の疎開で尾道、姫路、神戸と動き、小学校は3回転校したそうです。
小学校5年生から高校まで神戸で過ごされ、
神戸市立神港高校を昭和33年に卒業、
5年間サラリーマン生活をされました。
就職先は洋書で有名な丸善、
主に営業畑だったそうです。

 

普通のサラリーマンが材木屋さんになる。
それも伝統的な銘木屋さんになるなんて不思議ですね。
実は吉本誠司さんは大阪の摂津市で銘木業を営む
株式会社中喜・会長吉本富士夫さんの実弟だったのです。

 

「母親から兄の手伝いをするように頼まれ、
それじゃーっていうことで材木屋に入った。別に深くは考えなかった」
と吉本社長。
昭和38年に大阪の銘木のメッカとされた横堀の中喜商店(現中喜)に入社、
2年後に独立されました。
その独立の経緯がまた面白い。
「別に青雲の志があったわけではない。
たまたま神戸の得意先が左前になり
社長の兄貴からその会社の後をやれ、と言われたから」
というのです。
水が流れる如く自然な成り行きだったのです。

 

サラリーマンから材木屋に転進、2年後には社長になった。
それも材木屋さんで一番目利きが必要だとされる銘木屋さんの社長に。
牧牛は質問しました。
木や銘木のことをどれ位ご存知だったのですか、と。

 

「営業の経験はあったし簿記もできたから帳面の心配はしなかった。
でも木材のことはあまり分からなかった。
だから当初は誰にでも分かる商品を扱った。
単車1台で営業にまわった。
と吉本社長。
誰にでも分かる商品とは一体なんでしょうか?
「やはり床の間の材料です。
床柱天井板、それに和室の内部造作材
そのあと集成材が主流になってきた。
時代とともに扱う商品が変ってきたよ。」 

 

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倉庫外観

 

 

牧牛はかつて材木屋でした。
材木屋というのは不思議な商売で、
あまり「営業力」を必要としなかった商売なんです。
だから材木屋さんで営業に抵抗のない人間は珍しい存在なのです。
昔から「待ち」の姿勢が強く、
「利は元にあり。仕入がすべて。材をもっていれば向こうから買いに来る。」
つまり売ってやる式の商売が普通でした。
ところが吉本社長は他の業界の出身者、
営業するのが当たり前の世界だったのです。
灘銘木店さんが現在隆盛を極めているのは
木材業界では常識とされなかった
「営業力のあるお店」

だったからだと牧牛は思います。

 

「10年ほど前から階段用の材料として積層材が増えてきた。
和室の衰退が続き、無垢材の需要が減った。
今、銘木屋は四苦八苦している。」
と吉本社長。

 

「銘木」と言う言葉はよく耳にしますね。
「銘木」とは一体どういった木のことでしょうか?
普通の木とどこが違うのでしょうか?
「銘木」と聞いただけで私たちは、
高級品だ、希少価値がある、ブランド品、と思ってしまいます。
実はそうではないのです。
銘木屋さんの長老に以前伺ったことがあります。
「室内で目に見える木はすべて銘木です。
決して特殊な木ではありません」
と答えて下さいました。

 

最近の木造住宅は
外から見ても部屋内から見ても「木造の家だ」とは思えなくなりました。
木造住宅であっても外装は木質以外の不燃材で覆われ、
内部は壁で隠されています(大壁工法)。
柱や梁や桁などかつては目に見えた木の部分=現(あらわし)と称される=
全て目隠しされています。
建築基準法、消防法、耐震基準等々の法律が成せる業です。
木が見えなくなれば美しい木を使う必要がなくなります。
構造面をクリアーし安定供給が可能で低価格な材料で十分です。
建築様式の変化が「現(あらわし)の木」を市場から駆逐してしまいました。
銘木屋さんがこぞって嘆く原因がここにあるのです。

 

吉本社長は言います。
「阪神大震災で神戸の町は古い建物が倒壊し、
建て替え需要はハウスメーカーが席巻した。
残された需要はリフォーム市場だけだ。
三木周辺も含めて当社はリフォーム市場に取り組んでいる。
それに加えて店舗関係にも参入した。
床・壁・看板・カウンター、
金額は小さいが客層が広がり関連商品にまで商売が広がった。
商圏は神戸市全域明石、土山、西脇、三田、伊丹、尼崎方面。
現在私を含めて6人体制で頑張っている。」

 

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倉庫内のフォークリフト

 

 

独立された昭和40年は東京オリンピックが終った翌年で大不況の年です。
山陽特殊鋼が倒産し山一特融の時代です。
その後、列島改造ブーム、オイルショック、バブル発生とその崩壊、
そして平成大不況。
吉本社長に振り返っていただきました。
「土地,株には一切手を出さなかった。
地道に本業一筋でやってきた。
大損はしないが大儲けもない。
それがよかったと思う。

 

「木の本当の温もりは無垢材にある。
もっともっと無垢材を使って欲しい。
と一般の方に訴える吉本社長の趣味は、
スポーツクラブ、写真、今一番はまっているのは「家庭菜園」だそうです。
自分で作るキュウリやナスにトマトにキャベツ、これほど美味いものはない、と。

 

ご子息で後継者の吉本満さん(常務取締役)は牧牛の取材中、
倉庫内でフリー盤の割り返し作業に従事されていました。

 

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 作業中の吉本満常務

 

 

吉本社長、長時間ありがとうございました。
一度手作りの野菜を賞味したいものです。

 

 

株式会社灘銘木店

〒673-0445

兵庫県三木市別所町西這田573-62

ホームページ:http://www.ne.jp/asahi/nadamei/kobe/